01 読みもの

茨城県北芸術祭

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新潟県の内陸部で開催された「大地の芸術祭~The Echigo-Tsumari Art Triennial」の成功以来、2000年代に入り日本では、県規模の面積に展開する巨大なアートフェスティバルがさまざまな地域で行われるようになった。

2016年の秋、新たなに始まったのが東京の北100キロメートル、福島県の南に接する茨城県北部で展開された「茨城県北芸術祭」だ。2011年の東日本大震災にあって東北沿岸部のすぐ北にあるこの地域は、同じく大きな震災の影響を受けた。その中にあって、より人々の来訪と注目を集め地域を振興させる取り組みとして、この「芸術祭」が登場した。文化庁ではなく経済産業省の後援を受けたことが、この「芸術祭」の特徴を現わしている。

東西30キロ・南北50キロに広がる地域全体に80にものぼる作品が地域の風土に溶け込んだかたちで配された。特に南北に連なる丘の稜線にあわせて、遮られたふたつの地域にそれぞれが配されており、それぞれ海側に面したプロジェクトの周遊と山側に面したプロジェクトの周遊ができるようになっている。

この地域は、東京に比較的近いという立地もあり、世界規模のエンジニアリング企業である日立(同名の名の都市が中心地域である)発祥に代表されるように日本の近代工業発祥の地であり、同社は今なお主たる工場を多く構えている。一方で、日本に現代的な芸術の概念を根付かせた岡倉天心が思索の場を構えた、アート発祥の地ともいうことができる。このような先駆性への連想、同県の南部にある科学技術都市つくば、さらには語られてはいないが先の震災への想起の存在も根深く、海と里山が織りなす自然と科学技術というふたつの素材との「対話」が、芸術祭におけるコンセプトを貫いていた。

海側を廻る

東京から福島県沿岸部へと続く高速道路を北に向かう。福島県境に接する五浦海岸は、崖の景色が美しい岡倉天心が施策の場を構えた景勝地である。日本美術発祥の地を顕彰した県の美術館でチームラボが展示を行っていた。代表の猪子寿之が全国テレビに数多く出演するなど国民規模で知られるようになったこのメディア表現チームは、わかりやすいアイコンとしてたくさんの近隣の人々を集める展示となっていた。これまでの彼らの作品に加え、茶道の「うつわ」に色とりどりの華の開きと移ろいを投射し、愛でながら飲む、「茶会」形式の作品を出展、茶を通じて会話を深める茶道における新たな「しつらえ」として、老齢の地元の茶の師匠であっても、すっと、これまでもあったかのように振る舞う所作が、茶道における進取の粋という本質を今に現わすかのようであって。

日立市に入り、津波の被害にあった砂浜が美しい温泉宿が、温かみのあるヴィラへと復興した建物の中に、生物との共同作業で作品をつくる Inomata Aki のプロジェクトが転回していた。Inomata は、ヤドカリが棲む宿となる貝殻を3Dプリンタで制作、世界の各都市のアイコンをひとつひとつの殻に成形する作品を送り出してきた。その集大成として、世界8都市の「宿」が展示された。精巧につくられた透明度が高い殻は、それそのものが装飾品のような美しさを感じ、そして、そこに実際にヤドカリが棲む姿を人々が見ることにより、誰もが新鮮な驚きを感じていた。

日立の街の中を抜け、近代の賑やかさを建物の記憶にとどめるちいさな街へ

使われなくなった銀行の建物のロビーにまるで、都市開発の際のセメント練機のように、太い糸をつむぐロボットがいた。力石咲の作品制作のための道具「addi UFO」だ。この彼女しか使うことはないだろう不思議な機械で紡いだ糸で、栄華が抜けた閑散とした街にカラフルなニットの装飾を施してゆく。まるで親戚や友人に編み物をつくってときには一方的にプレゼントするような愛くるしさで、地元の人々に街のあらゆるものを巨大なニットで編みくるんで愛情もって送り続けている。

隣の同じく廃業した大きな店舗の跡では、この県内に活動の場を持つ中崎透が町村合併とともになくなった地名を施した、まるで繁華街のお店のようなライトスポットの看板をつくり、明かりを灯していた。20世紀のモダンを彷彿させるそのほのかな明るさは、あの頃あった地名とともに人々に深い郷愁を与えてくれた。

里山を廻る

一方、街道筋を山側に向け車を進める。秋真っ盛りの色とりどりの里山のおだやかな森の中を進む。その田園の風景をゆったりと愛でる場として、この地域で生まれた建築家の妹島和世は、直径10メートルのアルミによる円盤型の天然温泉に満たされた足湯をつくった。

アルミと泉によって鏡面に写りこむ風景や空、田園の景色の重なりは、浸かる足の暖かさとともに、穏やかな心地よさを持たたしてくれた。

賑やかさを過去にみせていた山間の学校、その中に少年の頃のわくわくした気持ちを感じさせたくれたのが、この地域にある科学技術で名高い筑波大学で人間の意識に訴えかける表現技術「デジタルネイチャー」の研究チームを率いる落合陽一のプロジェクト。

理科実験室に貼られた幕の向こうにある漆黒の闇に、ストロボで照らされた無数のしゃぼん玉に包まれる『モナトロジー』、教室に置かれた同じくしゃぼん玉でつくられた薄膜に映像を映すディスプレイに映し出される蝶の姿。彼らが取り組む、物理現象を利用した表現の姿が、山間の校舎での学びの場という演出の中で映えてゆく。

学校でのドキドキする気持ち。その感覚を呼び戻してくれるのが、magmaによる電気仕掛けのクラフト感覚あふれるインスタレーションたち。校長室では、木彫りでできた先生が光の点滅で昂らせながら訓示を与え続け、厳しさの中で滑稽さを探る子供ごころを覚ませてくれる。教室には音楽のテンポとともにイルミネーションがテンションをあげてくれる、ラジカセか往時のステレオコンポを彷彿させるサウンドセットが、イケてる気持ちにさせてくれる。

この山間の廃校は、私たちを十代の頃の「行きたい」学校の気分を思い起こしてくれたのだ。

自然と科学との間を表現する手法として、新たにバイオテクノロジーを用いた表現「バイオアート」という領域がうまれてきている。この芸術祭で、特にフォーカスした文化のひとつである。三原聡一郎は、土壌に存在する微生物で発電する技術を用い、自然の気配を感じることを美術表現として試みた。この地域の苔を用いた球体をつくり、この新たなエネルギーを用い、不意に地面を転がる作品をつくり出したのだ。

大地震、そして世界に向けて「FUKUSHIMA」という地域の名とともに記憶され続けるその後の災厄。そのすぐ隣にある茨城県北部。

語りたくても語りたくない記憶と現実に立ち向かう「芸術祭」

空気を察して盛り上げようというのもあるだろう。日常の里山や海辺の中にある作品たちが醸し出す美や素朴な驚きによる非日常によって、非常の非日常を打ち消す力を与えてくれているようだった。会場では、地域に生まれた大きな楽しみとして、何度も作品を廻る数多くの地元の人々に出会えた。

とはいえ、語りたくなくとも、つい、科学を語る饒舌さが、ふと、ひっかかる気持ちを与えながらも。

最後に絶景を。巨大な月が照らし出される稀な夜、空を愛でる人の建物が台風で吹き飛んで海岸に落ちてきたという、イリヤ&エミリア・カバコフの絵画『落ちてきた空』が置かれる海岸に行ってみた。

その漠とした中に空の切片が刺さったかのような様は、その破天荒なストーリーとともに、異界の景色に浸らせてくれた。

茨城県北芸術祭 https://kenpoku-art.jp/

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